About

この映画は映像がない、音だけの映画です。


コロナ禍に生まれた新たな芸能/映画の形。


それは岡山県高梁市の日本語教室に集まったメンバーたちの物語。


日本語教室には技能実習生を中心に多様な背景をもった人たちが集まっています。


日本語教室の先生と生徒らは、コロナ禍で失われつつあった豊かな生活を取り戻すために共にひとつの歌をつくりはじめました。


属性を越えた、"いきもの"としての出会い。


これは、そのささやかな出会いの航路を記録した音だけのドキュメンタリーです。


山間部の小さな町にも訪れているグローバル化の波。


そして、その境界で揺らぐ小さなくぼみ。


そこから生まれる営み、対話、風景、響き。


この映画は、映像が無いが故に、上映される空間、音質や音量、集まる人、観る人の記憶や状況で、観るたびに変化していきます。


決して同じ顔を見せることはありません。


観る者自身がまぶたの裏に映画を流し、上映される場が映画を創造していきます。


そして、上映での出会いを重ね新たな対話が生まれていくことで、この映画は初めて動き出します。




舞台となった高梁市は、人口あたりの外国人の割合が岡山県内で最も多く、人口約26,000人の内、約3.4%(939人)が外国籍の住民になります。(2023年1月時点)

最近はベトナムやインドネシアなどから技能実習生として移住してくる住民が増えています。実習生の多くは、寮などで共同生活をしながら高梁市内の工場などで働いています。外国人技能実習制度は日本の企業で技能を身に付けた外国人が母国の発展に寄与することを目標とされており、外国人を技能実習生として受け入れることにより、慢性的な人手不足の解消にも役立つと考える企業が増えています。その一方で、技能実習生の待遇や悪質な環境等が問題視されるケースが数多く報告されています。

本作品の監督であるハブヒロシは、高梁市に住む多くの技能実習生や海外出身の住民らが、日本語の授業を受けたり、地元の人々と交流したり、他の外国人と知り合う機会が無い状況を知り、 2020年6月から高梁市内の図書館で日本語教室を始めました。

日本語教室には多様な背景をもった人たちが集まっていますが、本作品では、日本語教室に参加していた技能実習生のベトナム人とミャンマー人、ALT(外国語指導助手)のアメリカ人とCIR(国際交流員)だったフランス人らが、アフリカやインドネシアの楽器を演奏する岡山の音楽家らと一緒に一つの歌を生み出す過程が描かれています。

映画の撮影は、2021年1月に始まり5カ月の間、毎週日曜日に行われました。その後、追加のレコーディングやミキシング、編集などを行いながら、同時並行で各地での上映会も開かれ、最終的に2022年2月に完成を迎えました。

This film is a unique sound-only documentary and labor of love that captures the creative process used by HABU Hiroshi to give voice to the multi-layered story of immigrants working in Okayama Prefecture in Western Japan.

The director, also an artist and community activist, saw the need to help them better adjust to, and enjoy their lives in rural Takahashi City. As most were "technical intern trainees," who work in nearby factories, few had the chance to take classes, mix with locals or even get to know fellow foreigners who worked for other companies. So, he started the bi-monthly classes on Sunday mornings at the local library beginning in June 2020.

The film, which he chose to produce without any visuals, takes a deep dive into the many complex questions that arise as they carve out lives in the picturesque countryside, not far from neighboring Hiroshima. With no images to distract audiences, Habu believes movie goers can better step into the their lives and experience the highs and lows.

The center piece is the group song that is written and composed by the participants who have varying degrees of fluency in the language. The end-product is a heart-warming song sung in Vietnamese, English and Japanese that captures the joy, sadness, fun, and frustrations of living abroad. In Japanese this is known as "Ki Do Ai Raku (喜怒哀楽)."

The foreign film subjects are trainees from Vietnam and Myanmar, as well as an American Assistant Language Teacher and a French woman who was a Coordinator for International Relations at Takahashi City. They join forces with locals and other Japanese transplants who have expertise in various African, Indonesian, and other instruments to mix in new rhythms and break new ground.

The process of song writing builds organically throughout the course and is interwoven with other snippets of life. Those reflections encompass a range of feelings from the delight of discovering new vistas along the Takahashi River and the joy of sharing a lively Vietnamese meal to the misery of the Myanmarese who helplessly witness a coup in their country from afar.

The making of the film and the classes themselves also collided with the global COVID-19 pandemic that gripped the world. The effort brought the participants together (even remotely for a while) to give them a sense of normalcy during a time of heightened fear and isolation.

Known as a "Little Kyoto," Takahashi has a rich and proud history. It boasts the highest mountain castle in Japan and is often pictured in a "sea of clouds." Tourists are also drawn to its samurai district, as well as to temples, shrines, and even the rare Meiji-era Christian church.

The city also stands out for having Okayama Prefecture's largest proportion of foreigners per population. According to the latest data, 939 of them represent 3.4 percent of the nearly 26,000 residents who call Takahashi home.

Recently the number of trainees in the city—many of whom hail from Vietnam and Indonesia—has been growing. Company buses can be seen transporting morning shift workers while other groups return to their company dorms by bicycle in the dark. Increasingly the trainees are being brought in under a system that allows them to work for several years to help combat the chronic labor shortages Japan faces as its population continues to age and drop to historic lows.

They are supposed to take the skills back to improve the development of their home countries. However, the system has sometimes raised concerns about their treatment and the conditions under which they work for the Japanese businesses that hire them.

Recording for the film, which meant gathering hundreds of hours of voices, vocals, and other daily sounds, began in January 2021 and ended in May 2021. This was followed by additional recording, mixing, editing, and sound design.

Finally, the film was completed in February 2022, with screenings held throughout Japan. The Takahashi Library, where the lessons took place, was the first venue to kick off the preliminary screening on November 28, 2021.

As the world faces many crises and the story of immigrants, migrants, and refugees continues to occupy front page news, it is hoped audiences can gain new insights and a deeper understanding about this diverse group that lives and works in rural Japan.


諏訪敦彦(映画監督・東京藝術大学大学院教授)

劇場に入ると、ステージの上にはスピーカーだけが置かれていて、スクリーンは

なかった。しかし、映画が始まる。声が聞こえる。ベトナム語や、少し訛りのあ

る日本語や、片言の英語、フランス語が語る故郷の思い出や歴史、風景。川の音

や、風の音、楽器の音、そして音楽が作られてゆく。映像はない。しかし、これ

を「映画」と呼ぶことが素晴らしい。見えることだけがイメージではない。音に包

まれ、私たちはいつの間にか見知らぬその土地の空気を深く感受し、自らが映写

機となって映像を投影するだろう。そう、これは紛れもなく「映画」なのである。


イチロー・カワチ(ハーバード公衆衛生大学院教授)

Ichiro Kawachi (Professor of Social Epidemiology in the Department

of Social and Behavioral Sciences at the Harvard T.H. Chan School of

Public Health)

Not having the visual images forces you to really concentrate on the film. It's a

bit like the black screen of your film -- there was so much left unsaid about the

hardship of the immigrant workers, and the viewer/listener must fill in the gaps

themselves. But at the end, the song you collectively composed was inspiring and

hopeful in pointing to our common humanity. Wonderful film!


小笠原高志(映画プロデューサー)

これは今年度一番の問題作!今の時代に必要なのは傑作なんかじゃなく問題作!!!


沖啓介(アーティスト)

これはすごく楽しい「映画」で、しかも日本語、ベトナム語、英語などでできあ

がってみんなで歌う音楽も抜群。映画?フィールドレコーディング?ドキュメン

タリー?とか思っているうちについついノってしまいます。


山下つぼみ(映画監督)

観ている人それぞれが違う映像が見える「映像のない映画」。人と人の距離感、

関係性が「見える」体験が面白い。最後に向かうにつれ広がる祝祭感に目頭が熱く

なった。すごく豊かな「映画」だった。我々は色々な出来事や、他者との関わりか

ら繊細に情報を読み取り、生きているのだと、登場人物の話からもわかるし、自

分の中から湧き上がる。音楽のパワーってすごいな!エンドクレジットまで楽し

かったです。これは色んな人と一緒に見るとより素敵な体験ができると思う。「映

画とは」とグズグズ言ってる自分に優しい鞭を打たれた気分。


村岡由梨(映像作家)

これまで、「音のない映画」をいくつか観たことはあるが、「映像のない映画」

を観たことは初めてかもしれない。これは、岡山にある日本語教室のメンバーが、

言語の壁を超えてひとつの歌を完成させるまでを記録した、「映像のない」ドキュ

メンタリーだ。

最初はweb翻訳の力も借りながら、監督が文字通り手探りで言葉(歌詞)を探っ

ている様子が記録されている。観ている私たちも、何も映っていない画面を観な

がら、この映画が云わんとしていることを手探りで掴み取ろうとする。それは容

易いことではなかったが、電車が通り過ぎる音や雨の音などに身を委ねる内、脳

内に鮮やかなイメージが湧き始め、その数々のイメージが映像を観るよりもはる

かに雄弁に感じ私自身とても驚いた。全く新しい映像体験だった。そして、『Our

Sounds』というタイトル通り、気づけば私も彼らの輪の中に入っていたのだ。「仲

間たち」のカタコトの日本語は、どこまでもピュアで温かい。彼らの体験を通じ

て語られた「日本」も温かさと優しさで溢れている。

ラスト、様々な言語が重なり合い・混ざり合ってひとつの歌が完成したのを

聴いた時は、思わず涙するほど心が揺さぶられた。この歌を聴く為だけでも、一

見の価値のある映画だと思う。


澤隆志(キュレーター)

もともと外国語は流暢でなく、ここ数年は母語までカタコト生活な自分がい

ちばんリラックスできるのは非英語圏の方とカタコト英語でコミュニケーション

する時間だったりする。最近はタイ人とやってる。そこそこうまくいってる。そ

んな状況を知ってか、仲本さん(らせんの映像祭 代表)に特別試写してもらった

この映画。試写といってもsound onlyなので真っ暗な部屋で聞くのもよし、僕は

某女子大のカフェで再生。日本語教師でもある音楽家とベトナム、ミャンマーの

技能実習生たちの対話によるvoices-songs-soundsの旅。共作した歌もステキ

だけど、前半のなにげない対話に、祖国の過酷な歴史、我ら元経済大国が強いる

技能実習生制度の状況、その制度に直結した「ただしいにほんご」しか話せないも

どかしさetcがにじみ出てきてなんともせつない気持ちになった。太平洋の向こ

うの国を想起できるか否か。


磯部真也(映像作家)

らせんの映像祭、オープニング上映作品のハブヒロシさんの『音の映画 Our

Sounds』を鑑賞させていただきました。なんと驚きの映像がない音だけの映画!

この作品は、岡山県高梁市の日本語教室に集まったベトナム人技能実習生達

を中心とするメンバーがハブさんと共にハッピーな音楽を作っていくセルフド

キュメンタリーです。楽曲の制作過程を通して、出演者それぞれのバックボーン

や日本での生活についての会話等によって構成されています。

この作品が映画であるかどうかは語られるべき面白いテーマだと思います。

しかし個人的には、これを「映画」と言い切った事が重要なのだと思いました。そ

の事により「映像がない」という現象を生み出しているからです。音声のみの表現

形態として発表されていたならば、それはありません。「映像がない」事で、鑑賞

者の想像力は鮮明さを増し、どこまでも遠くへ延びていきます。世界は広さを保

ち続けながら、またその一方で出演者達の存在を非常に近く感じさせてくれます。

映画における大きな要素が存在しない故に生まれた新たな空間を体感する。それ

は非常に稀有な体験となりました。

とにかくめちゃくちゃ面白いので、この映画をご自身の「耳」で体験してみて

ください!映画好きの人、音楽好きの人はもちろん、すべての人にぜひ体験して

いただきたいです。


幸洋子(アニメーション作家)

ハブヒロシ監督の『音の映画 Our Sounds』本当に素晴らしかったです。自分

にとって本当に豊かなこととは何か、人と関わること、作るということに今一度

向き合える、希望の感じる映画でした。旅に出よう!!!


坂本夏海(アーティスト)

これは、岡山県高梁市の日本語教室に通うベトナムやミャンマーからのメン

バーと一緒に一つの歌を作り上げるという試みをカメラを使わずに録音機だけで

記録した「音だけの映画」です。彼らの母語の言葉やメロディー、覚えたての日本

語と織り交ぜながら、歌の協働制作をする様子を記録したドキュメンタリー作品

です。視覚を通さずとも、対話や環境音の響きから情景が自然と立ち上がり、物

語が浮かび上がるとても不思議な経験でした。コロナ禍で故郷を離れて暮らすこ

と、文化の違いや生活の困難さを抱えながらも今を生きること、技能実習生の状

況、入管の収容問題。最近ニュースで見た英仏海峡で移民を乗せたボートが沈没

したニュース。。様々に想いを巡らせながらも、最後の歌の美しさとエネルギー

に心打たれました。すごいよかった!


四方幸子(キュレーター) ※Twitterより引用

ベトナムの人たちの日本での体験、そして日本の人たちと一緒に音が生まれて

いくプロセス…芽生え炸裂するエネルギー!境界は、超えられる!声、音…いず

れも印象的で、覚えやすく、心がこもってて、そして何より、優しい…。*個人

的には1986年ドイツ、デュッセルドルフにボイスのリサーチで滞在した時、日

系企業で働くニュエン(グエン?)さん家族(ベトナム難民)にお世話になった経験

があり…。


菅原伸也(美術批評・理論)

ハブヒロシの『音の映画 Our Sounds』は音を通して世界の複数性を描き出し

ている作品である。しかし本作は「音の映画」というタイトルの通り、映像はまっ

たくなしで音のみで構成されている。そこでは、岡山県高梁市の日本語教室に集

まった、ベトナムを中心とした海外から来た人々がハブヒロシのファシリテー

ションのもと一緒に歌を制作し、最後にそれを演奏し歌う。この歌は順にベトナ

ム語、日本語、英語、フランス語で、それぞれの言語を母語とする人々によって

歌われていくのだが、それら多様な言語をすべてきちんと理解できる人は観客に

ほとんどいないであろうし、「音の映画」であるためもちろん字幕もないので、少

なくとも自分の理解できない言語で歌われた部分に関しては「意味のある言葉」で

はなくただの「音」として聞かれることとなるだろう。しかし、歌が徐々につくり

上げられていくプロセスをその前に耳にした上で、そうした知らない言語による

歌を最後に聞くと、ただ理解できない雑音としてそれらを切り捨ててしまうこと

なく、依然として理解できないながらも、豊かな意味や響き、さらにはその背後

に存在している、理解できないかもしれない他者の存在を否認することなく認め

ることができるようになるのである。


2016年に突然視力を失ったセラピスト、石井健介さんによる紹介記事:

https://note.com/madhatter_ken/n/nd37a58143c77

先日映像の無い「音」のドキュメンタリー「Our Sounds」という映画を観た。観

た、という表現が正しいのかわからないのだが、音だけのこの60分の作品を聴

き終わった後には、確かに「観た」という感覚の余韻が自分の内側に残っていた。

ベトナム人を中心とした技能実習生と、彼らに日本語を教えている先生が、

一つの曲を対話を重ねながら作り上げていくという内容なのだが、ドキュメンタ

リーの手法で言うところのノーナレーション作品で、説明は一切入らずに登場人

物たちの会話やそこに生まれる音だけで映画は構成されている。そのため最初は

状況を把握することに少しだけ戸惑ってしまったのだが、すぐにこれは僕のよう

な視覚に頼らずに映像作品を観ている人たちにとっては日常的なことだと気づい

た。登場人物の声と、時折聞こえてくる名前を呼ぶ声で人とを一致させていく作

業を頭の中で処理しつつ、この場面には何人の人が同じ場にいるのかも把握して

いく。重なり合う声や音、流ちょうではない日本語とベトナム語、そして時折英

語も入り混じり、その中で交わされていく対話はまるで、様々な色の毛糸を使っ

てゆっくりと時間をかけながら編まれたローゲージのニットのような温もりを感

じた。

セッションをしながら曲を作り上げていく過程で、ベトナム語の菓子をメロ

ディーに乗せ小節の中におさめようとするのだが、なかなか言葉の数が合わずに

何度も調整をするシーンがあり、そのシーンがとても印象に残っている。何度か

の失敗の後、ようやく小節に収まった美しい歌声、それに続く歓喜の色をした声、

そしてハイタッチをする音。その音を聴いた時に、僕には顔の高さで二人の女性

が笑顔でハイタッチする様子がはっきりと見えた。

ハブ監督の意図するところかはわからないのだけど、これは僕のような視覚

を使わず映画を観る人と、普段は視覚を使って映画を観ている人も同じ立場で一

緒に観賞することができる映画だと思う。通常は「音声ガイド」をつけ「見える人」

に「見えない人」が合わせているのだが、これはその逆で「足す」のではなく「減ら

す」ことでそれを実現させている気がする。Less is Moreという言葉があるけれど、

まさにそれだと思う。

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